人文科ブログ

私たちが自粛生活しちゃう理由。

先日、緊急事態宣言が関西3府県にて解除されました。

我が埼玉県は、あと、もう少し自粛生活ですね。

ここまできたら、自粛生活がんばりましょう!

 

あれ? いつのまにか自粛生活が板についてきた私…。

どうして、わたしたちは自粛生活しちゃうんでしょう?

 

理由① 自分が感染したくない

理由② 誰かを感染させたくない

理由③ 自粛しないと、社会生活がはじまらない(学校がはじまらない)

理由❹ 自粛しないと、…なんだか誰かに見られているようで…自粛しちゃう…

 

あれ? でも、「自粛」ってあくまでも「要請」であって、「強制」ではない?

あれあれ? でもでも、やっぱり「自粛」しないと…って、思っちゃう"(-""-)"

 

もう一度、問います。

なぜ、私たちは自粛生活をしちゃうんでしょう?

 

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、

看守が囚人を一望監視できる監獄『パノプティコン』に例えて

人々を規律正しく従順なものに導く民主国家のメカニズムを読み解きました。

 

『パノプティコン』とは、

中心に監視所があり周りを取り囲むように独房が設置されている監獄です。

監視所に、看守がいるのかどうかも、そもそも監視さているのかもわかりません。

でも、囚人は『パノプティコン』から逃走しないのです。

 

 フーコー曰く、

民主国家という『パノプティコン』に入れられた私たちは、

誰に強制されるでもなく、自ら規律に従うようになる… そうです。

 

話は、もっと複雑なのですが…。

いつのまにか、「強制でない」はずの「規律に従うこと」が、「普通」になり、

「普通」から「逸脱」することを避けたいと思うようになります。

そして、自分が逸脱していないかどうかを確認するために、自分と他人を比べます。

そして、自分を責めたり、他人を責めたり…。←”自粛警察”ってこれかな?

 

もとにもどって…「普通」って「強制ではない」んですけど。

 

もちろん、もう少し自粛生活は続けなきゃいけないです。

もちろん、自分勝手な理屈で自粛生活しない人がいるのも事実です。

でも、自粛したくても、自粛できない人がいることにも気を配りたいです。

 

不自由な時代で、不自由な状況は、時に私たちの思考を停止させます。

どんな時代でも、どんな状況でも、私たちは思考を停止してはなりません。

 

 自粛生活もあと少し、思考は場所も時間も選びません。

 

【参考資料】

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』1975

田中正人『哲学用語図鑑』プレジデント社 2015

”オピニオン 新型コロナ 疫病と権力の仲” (仲正昌樹へのインタビュ―)朝日新聞 2020/04/02 朝刊

”文化の扉 なお待たれるフーコー” 朝日新聞 2020/04/06朝刊